■全般
王宮の侍女達は魔界軍においては近衛師団に位置付けられている。しかしながら、
これはあくまでも便宜上の事である為、組織としての侍女職は魔界軍の通常の構
成とは大きく異なる。この差異は現在の魔界軍の編成(これは人間界からの移住
者が持ち込んだ思想に基づく事は衆知の通り)が決定された時点で、既に侍女職
は存在しており、有事における指揮命令系統を単純にする為の便宜上の事として
魔界軍の一翼に組み入れたに過ぎないという歴史的経緯による。
以下、各項に付記した軍編成に関る用語は、侍女達を強いて当てはめればその様
な位置付けにあるという程度の意味しか持たない事に留意されたい。

■構成
魔界の殆どの組織・集団の例に漏れず、侍女職はその実力によって順序付けられ
た階層構造を持つ組織である。侍女達はその実力(言うまでも無いが戦闘力)に
応じ席次とよばれる順列を当てはめられている。最も戦闘力が高い侍女が主席と
呼ばれ、以下、次席三席四席と続く。末席については特に規定は無く、単にその
時々の侍女達の総数に依る事になる。ちなみに侍女の総数は概ね二百名前後であ
り、後述する理由により末席はその数字の半分の百席前後となる。
侍女職にあたる者は大きく二つの集団に分かれており、夫々が【左】(第一大隊)
か【右】(第二大隊)の何れかに属する。【左】と呼ばれる集団は体術武術剣術
といった主に肉体を使う戦闘を得意とする者達で構成される。【右】は魔術妖術
幻術系を用いる者達で構成されている。一方の系統の戦闘しか行わない者の所属
は簡単に決定出来るが、どちらの系統の戦いも均等にこなす者の場合は任命権限
を持つ者が試験の結果を受けて決する。この試験は該当者に予告せずに背後から
襲うという極めて乱暴な物であり、その予期せぬ事態にどちらの系統の力をもっ
て応戦したかで【左】【右】を決するのである。尚、実際に試験を実施するのは
上席侍女職の者である為、しばしば該当者は再起不能の怪我を負う事がある。勿
論、その場合は残念ながら該当者の侍女職への採用は見送りである。
前述した様に侍女職は【左】【右】二つの集団に分かれており、それぞれに各席
次の者が居るが例外もある。先ず主席についてだが、これは【左】にしか存在し
ない。話が前後してしまうが【右】には次席しか居ない。これは如何なる集団・
区分けにおいても魔術に関する最高実力者は魔王様以外には有り得ず、故に侍女
職の者が侍女職固有の事情であろうとも最高位を意味する役職すなわち主席に座
するのは不遜であるという伝統的配慮に基づいている。それ故に主席は【左】に
しか居ないのである。合わせて【左】に次席は居ないが、これは【右】の次席が
実質的には主席格である事への礼儀であるとされる。そして主席と次席の二人に
は、侍女長と副侍女長という肩書きが自動的に付く。通常、侍女達はこちらの呼
称で二人を呼び、またそれ以外の席次も特別な場合を除いて侍女達の間で意識さ
れる事はあまりない。実力差は互いに肌身に感じて理解しており、呼称で区別す
る必要が無いのである。ただし例外もある。前述の様に主席と次席は各一名しか
居らず、それに三席から九席の【左】【右】十四名を加えた計十六名は“一桁”
と呼ばれ、上席侍女として特別な尊敬の対象となる。組織という面でもう一つ特
徴的な事は、厳然たる序列がある一方で指揮命令系統は縦割りでは無いという事
が上げられるだろう。侍女達に何かを命じるのは基本的に侍女長のみであり、副
侍女長ですら下位の者に何か命じる事はまず無い。副侍女長の役目は侍女長の補
佐である故という実質的な理由の他、いちいち命じられなくとも自分のすべき事
を理解するというのが侍女達に求められる資質であるというもっともな理由もあ
る。とはいえこれも、もともと侍女職が軍隊として発足した訳では無いという理
由が大きい。

■使命
魔界軍の一部でもあり戦闘色の強い集団と思われがちだが、侍女職の本分は別で
ある。侍女達の役割は基本的に一言に集約される。曰く、王宮を清浄に保つ事。
これは言葉通りの意味、すなわち掃除洗濯といった生活に直結した事柄のみなら
ず、招かれざる外部からの侵入者の排除や王宮内で私闘に及んだ者を抑え静める
といった意味を含む。侍女達が戦闘集団である理由は、この後者の役割がある為
である。従って、侍女達に要求されるのは相手が何者であっても負けない戦いで
あり必ずしも勝利は重要でない。

■生活
侍女達は魔界の大部分の人々に比べると遥かに規則正しい生活を送っている。朝
は日の出前には起床し各当番の仕事にかかる。戦っていない時の彼女達には大き
く五つの仕事がある。掃除、洗濯、食事の支度、警備、そして魔王様の世話であ
る。この仕事を夫々少人数のグループで担当し、定期的に担当が入れ替わる当番
制度にて運用されている。ただし魔王様の世話のみ、魔王様が気まぐれで指名し
て担当が替わる事がある為に当番制で入れ替わる事は無く、他の当番と兼務して
いる侍女も多い。
掃除当番と洗濯当番は特に解説の必要は無いだろう。王宮は大変広い為、毎日掃
除しても翌日には以前掃除した場所に埃が溜まる事になる故に掃除という行為が
終わる事は無い。魔界の住人は他世界の大多数の生物と比べると新陳代謝がゆる
やかである為にあまり服は汚れないのだが、侍女達は汚れなくとも毎日全ての服
を着替えている。故に洗濯当番も仕事が無くなる事は無い。
食事に関しては自分達が食べる食事よりも先ず魔王様の為の食事という意味合い
が強い。もっとも魔王様にとって食事は生きていく為の必須条件では無い為、食
事という行為を楽しんで頂く事が主眼である。その為、味もさる事ながら見た目
にも気を配っており、魔王様の食卓は常に豪勢である。基本は一日二食で昼食と
夕食のみ。朝食は侍女達しか摂らない。尚、王宮にて宴が催される場合等には当
番編成を超えて食事係が増員される事がある。
警備当番は如何にも戦闘集団らしい行為であろう。昼間は王宮中に侍女達が散っ
て働いている為に警備の必要も無く、警備当番は半自動的に夜勤専門となる。殆
どの侍女は夜半前には眠ってしまうが、警備当番は逆にその頃に起き出す。警備
当番の朝食が、すなわち他の当番の夕食である。警備当番の場合、昼食夕食の区
別は難しい為、各自適当に時間を見て食事を済ませている。もっともこの点は昼
間の当番であっても全員揃って食事という事はまず無い為に事情はさして違いは
無い。警備当番と言えども、他の当番と比べて人数が多く割当たっている訳では
無い為、一人で受け持つ範囲は広くなりがちである。ただしこの点は広い範囲を
同時に見聞きする能力に長けた者が必ず数名当番に当たる様に配慮されているの
で問題になる事は無い。また現実問題として、王宮の侍女職というだけでマトモ
な感覚を有した者なら勝負を挑んだりはしない為、侍女が巡回しているという事
実だけで十二分に警備の役は果たせるのである。
最後に魔王様の世話係だが、これは前述した様に当番制では無く、魔王様の気分
次第で担当に増減がある。また担当と言っても本当の身の回りの世話の他に夜伽
役も含まれていて、実際のところ誰が何時役目を果たしたかは常に公知という訳
では無い。尚、夜伽役に関しては例外的に断る事が侍女達に許されている。断る
事が当人の不利益にはならない事も保証されているが、侍女が断ったという記録
は無いようである。

■資質
何度も繰り返してきた様に侍女職は戦闘集団でもある為、戦う能力は当然必須で
ある。だがわざわざ侍女職という立場が王宮に置かれている理由、そして王宮に
住まう男性(彼に性別があると仮定して)が魔王様しか居ないという事実を鑑み
れば、侍女職に戦闘力以外に求められるものがあるのは明らかである。侍女職に
ある者は例外なく眉目秀麗であり、確かな身元の者達ばかりである。多くは魔界
の貴族氏族有力士族の子女だが、当人が爵位を持っているという場合もある。一
般論としては王宮の侍女職を一種の行儀見習い或いは箔付けとして見る向きがあ
り、自薦他薦ともに候補者の方から希望して来る場合が殆どである。まれに魔王
様が魔界を行幸(徘徊と言う者もあるが著しく不遜)している最中に見初めて連
れてくる場合もある。その際に身分や血縁がはっきりしない者の場合は一代爵位
を与えて無理矢理身分を確かにしてしまう場合がある。ただし多くの場合、この
様にして連れて来られた者は戦闘力という面で劣っている事が殆どなので比較的
短期で職を辞してしまう様である。侍女職に任期は無い為、辞めるのは容易い。
逆に長く務める事も可能であり、現職の中には人間界の時間換算で紀元前から在
籍している者も居るという噂がある。それ以外にも、歳相応の風貌になった為に
辞する者や、所謂寿退職で去る者もそれなりに居る。また前述した行儀見習い的
な意味合いで入った者も比較的任期が短めである傾向がある。

■服装
侍女職の制服は黒もしくは濃紺の袖付き貫頭衣(人間界での呼称はワンピース)
に白い肩袖付き前掛け(同・エプロンドレス)といった人間界ではお馴染みのス
タイルだが、魔界でこの格好が見られる場所は王宮以外では極く一部の貴族の屋
敷などに限られる。その為、魔界の住人の中には侍女達の服装を軍服と思ってい
る者も居るという。現在の服装が何時ごろ定着したのかはハッキリした記録が無
いが、精々一世紀程前(勿論、この単位は人間界の尺度)には現在の服装であっ
た。見た目は人間界においてメイド服と称される服装と同じだが、使われている
素材は根本的に異なっており、前掛けは魔界に生息する巨大な環形生物の分泌物
を煮詰めて作った樹脂状の物を更に細く伸ばして作った糸で織った布で出来てい
る。これは極めて丈夫な素材で通常の攻撃を受けた程度で破れたりする物では無
い。手触りは動物由来でありながら、人間界の綿に近い。その下の貫頭衣は別種
の、植物由来の素材を染めた物であるが同様に丈夫である。侍女職にある者は服
装が乱れる事を嫌う。特に戦闘行為においての服装の乱れは実力の低さの表れで
あるとして恥じている。この二点の衣服以外に関しては特に規定は無い為、その
他の部分には各人の個性が現れている。とはいえ、袖付き貫頭衣は裾丈が長めで
ある為、あまり外見上の差異は無い様である。またこの点を嫌って一部には貫頭
衣の裾丈を勝手に短くしている者も居るが、特に咎められる事は無い。(個人的
には風が吹き抜けただけで下履きが見え隠れするのは如何な物かと考えるが、魔
王様はお気に召しておられる様だ。)

■採用
採用直後の一定期間は仮採用として扱われる。仮採用期間は概ね半年程度。当人
の資質に応じて短くなる事があるが延長される事は無いと理解して良い。半年で
本採用とならかなった場合は自動的に不採用となる。本採用後は公式に侍女職の
肩書きを与える。以後、公の場では休暇中を除いて侍女として振舞う事。

■身分
本採用直後の身分は王宮侍女職末席。魔界軍の一翼として行動する場合は近衛師
団第一(或いは第二)大隊付士官(少尉待遇)。

■待遇
仮採用時に一時金、本採用時に支度金が支給される。額は登用以前の身分の貴賎
に関わらず一定。ただし定期的に見直される為、実際の額は別途問い合わせの事。
手当ては侍女職にあるという名誉のみ。退任時点で五ヵ年以上(仮採用期間除く)
の通産任務実績がある場合は特別手当ての支給あり。任期中に格段の功績があっ
た場合の報奨制度有り。任期中の傷病若しくは死亡は見舞金支給あり。ただし後
者の受け取り人は生前に指定しておく必要がある。指定無き場合は支給されない。
任期中は侍女長の同意が得られれば休暇の取得が可能。ただし休暇中は任期に数
えられない。傷病休暇中も同様。
侍女職は全員王宮へ住み込みとなる。全員に一間の個室を与える。調度は寝台と
文机、椅子一客。浴室及び洗面所は共用。私物は自由に持ち込み可能だが部屋に
納まらない物は不可。仮採用時に部屋の広さを確認した上で持ち込む物を決める
事を推奨する。尚、特別な事情が無い限り愛玩動物は不許可。肉食性があり自律
歩行する植物も不許可。ここで言う特別な事情とは当該生体が魔術行使の際に媒
介となるものである場合、若しくは戦闘時に補助的役割を果たす(所謂使い魔で
ある)事が証明出来る場合である。観賞用有毒植物は許可される場合があるので
申告せよ。ただし大抵の有毒植物は王宮の庭に植栽されており個人所有する意味
は低い。
侍女職の制服は仮採用時に四着貸与、本採用時にそのまま支給扱いに変更となる。
以後二ヵ年毎に四着ずつ支給。支給された制服の大きさが極端に体格に合わない
場合を除いて、細部の調整は自ら行う事。それ以外の着衣履物類は自前で用意の
事。華美な装飾品は持ち込みは認めるが執務中に装着しない事。
食事は一日三食(当番内容により増減有り)提供される。嗜好は一切考慮しない
が信仰上の理由による忌避は考慮される。ただし後者については当該宗教の高位
指導者の署名入り証明書の提示が必要。

■応募資格
健康な女子のみ。年齢不問。人族の女子の外見を保った状態で日常生活を支障な
く過ごせる事。本来の姿は特に問わない。仮採用試験時に容姿の確認が行われる
が、その際の評価について異を唱えない事。種族不問。ただし主食が他種族であ
る者は任期中の断食が可能であるか代替食料の確保が容易である事。直射日光や
真水等への接触が生命維持に支障を来たすといった特殊な身体構造を有する場合
は要相談。

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★侍女職を志す方へ

この冊子は侍女職に憧れながらも同時に不安を抱いている皆さんに、私達の本当
の姿を知っていただく事を目的としています。皆さんは侍女という役割について
どの様に考えているのでしょうか。今まで多くの方々の話をうかがって来ました
が、殆どの皆さんは侍女という仕事に少しばかりの誤解を抱いていると感じます。
そこでまず、私達の日ごろのお仕事について知っていただき侍女というお仕事が
決して皆さんが考える様な荒々しい物では無いのだと理解して頂く事がこの冊子
の目指すところでもあります。

それでは先ず











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●魔界・王宮

その日の当番仕事に一区切りをつけたエリスが侍女長の部屋を訪ねたのは未だ陽
が傾きかけたばかりの時刻でした。何時もの様にノックもせず − どうせ気配で
判っているはずというのが彼女の弁 ー いきなり扉を開き中に入ります。当の侍
女長は窓際の机に向かっており、他の侍女達と比べれば広めの部屋にしつらえら
れた大降りの机には紐で簡単に閉じられた冊子と書きかけの数枚の紙が載ってい
ました。エリスはつかつかと歩み寄り、振り向いた侍女長が何か目で訴える前に
その机の上の冊子と紙片を拾い上げていました。冊子をぱらぱらとめくり、それ
から紙片に書かれた数行の文書を読むエリス。そしてそれを元の机の上に戻しま
す。

「その堅苦しい文書は宰相様が書いたんだろ」

黙って頷く侍女長。

「で、それをもっと女の子向きにやわらかく書き直そうとしてるんだ」

再び頷き返す侍女長。

「で、若い子向きにどう書いたら良いか判らなくなって筆が止まってると」

また頷きかけ、小首を傾げる侍女長。

「何で判ったかと言うと、こっち」

紙束ではなく書きかけの方を指差すエリス。

「最後の文字が完全に乾いてるから、筆が止まってから大分経つんだろうって
思ったんだよ」

コクコクと感心した様に頷く侍女長。

「確かになぁ、事実だけど採用試験で闇討ちしますなんて書いたら誰も来なく
なっちゃうだろうし。何気なくエロ爺ぃ…もとい魔王様相手に何時でも身体を
捧げろって書いてる風に読めなくも無いし、全然駄目だな元のままじゃ」

エリスがふと気付くと侍女長が彼女をじっと見詰めていました。

「そんな目で見たって駄目だよ。私の方がもっと文才無いって知ってるだろ」

しょんぼり肩を落とす侍女長。そこには炎の槍の異名を持つ侍女職最高位者の
片鱗が微塵もありません。エリスは肩をすくめ、エプロンドレスのポケットから
小さな紙包みを出して机の上に置きました。

「ほら、これでも食べて元気だしなよ」

それだけ言うと、入ってきた時と同じく勝手に出て行くエリス。侍女長がその
包みを開き、中の焼き菓子を見て嬉しそうにしている様子を見る者はいません
でした。

エリスが廊下を歩いていくと、前方で廊下を掃いていた侍女仲間が箒を振り回し
て呼びかけてきました。

「エリス〜、暇なら手伝ってよ」
「やだよ。私の分は終わったもん」
「ケチ」
「それよりさっさと済ませて控えの間に来なよ、クッキー全部食っちゃうぞ」
「え、嘘。今日は焼き菓子なの?」
「どっかの貴族の奥方の差し入れらしいけど、山盛り届いたんで魔王様から
下されたんだってさ」
「あぁん、お願い少し取っといて。まだしばらく終わんないのよ」
「判ったよ。今も侍女長んとこに少し置いてきたし」
「え?侍女長様って焼き菓子なんか召し上がるの?」
「何言ってんのさ。甘いもの、大好物だよ」
「知らなかった」
「それもさ、すんごく嬉しそうにニコって笑うんだ。誰も見てないとこで」
「へぇ〜、それちょっと見て見たいな」
「今頃たぶん、ニコってなってる頃じゃないかな」
「それは見なきゃ」
「あ、おいこら待て」

侍女仲間はエリスに箒を押し付けると廊下を猛然と走っていってしまいました。
後日その侍女が語ったところによれば、窓からそっと覗き見た時には既に焼き
菓子はなくなっていて、覗いた事で睨まれてしまったとの事。そして侍女職を
志す者への冊子書きの役目が、彼女に押し付けられたのでした。


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